『A Grain of Truth』からシャツキ三部作

もう10月だなんて信じたくない。暑くてまだ夏と変わらない格好して、2日程前までアイスティーも作っていた。

 

『A Grain of Truth』Ziarno prawdy(ボリス・ランコシュ Borys Lankosz)

tubiで。『1983』が良かったロベルト・ヴィエツキーヴィッチ(Robert Więckiewicz)が主演なので何も調べずに見た。


www.youtube.com

Netflixのドラマ『その森に』(続編とは言わないのかしら? 主役の二人も同じ人物として登場する新しいドラマが作られるみたいで、楽しみ)や『泥の沼』のシーズン2、映画の『Zgoda』(Jakub Gierszałが出演)、『Aftermath』Pokłosie などを見てもっと知りたいと思っていた事が扱われていたので、英語の字幕が追いきれない部分もあって少し調べていたら、原作の小説があって、なんと翻訳も出ていた。それで読んだのが、テオドル・シャツキのシリーズ。

3作あるシリーズなら普段は1作目から読むけれど、紹介に「ポーランドルメートル」とあったので、あたしには合わないやつかもしれないと思ってこの映画化された2作目の『一抹の真実』(ジグムント・ミウォシェフスキ Zygmunt Miłoszewski 田口俊樹・訳 小学館文庫)から読んだ。ルメートルといえば1冊だけ読んで、ついものすごい勢いで読んでしまうものの気になる所も多かったし、Netflixのドラマ化されたものは1話だけ見てそのままにしてある。このシリーズも日本の翻訳は3作目から出たようだから、2作目だけ読んでも良いだろうと。けれども読み始めたらものすごく面白くて、読んでいる途中で全巻揃えた。これからこのシリーズを読まれるのなら、この下は読まずに全巻揃えて1作目の『もつれ』から読むのが良いと思う。

 

ポーランドの文化や社会、生活などに興味があるからか、書かれている事の一つ一つが読んでいて楽しい。各章の最初のニュースが並んでいる部分も好き。毎朝、TVのニュース番組を流しながら身支度して、一日を始めるようなイメージ。好感度も高くなさそうで、共感もあまりされなさそうなされる部分もあるような、本当に存在しそうな主人公のキャラクターも良い。映画を見た時は「なんなんだ、この感じの悪いおっさんは」と思ったものの、小説では口には出さない部分など内面が細かく描かれていて、それがおかしくてずっと読んでいたくなる。読むことで口に出せない部分まで見えたら余計に酷いと思う可能性もあるかもしれないか。あたしより少し年上なのかしら。自分と同世代の久しく会っていない人たちは今の時代に上手くやれているのだろうか、とか、余計な事も考えてしまう。あっという間に3作目まで読み終えて、これでシャツキとお別れなのが寂しい。あたしが受け取れなかっただけか、こういう人物の魅力というのか面白さを映画で表現するのは難しいのかもしれない。原作を読んで思い返せば、映画でもスーツ姿のシルエットはとてもきれいだった気がするけれど。地下道の場面が原作と映画で少し違って、それも主人公の印象をより悪くしてしまっていたのかも。

全体的にも『ダ・ヴィンチ・コード』みたいな映画だなと思っていたら、原作の大聖堂の場面ではダン・ブラウンの名前も出てきた。意識して書かれていたのね。映画でも街の建築や雰囲気が良くて、原作を読めばサンドミエシュに行ってみたくなる。首都から地方へ移住した人の思う事には笑ってしまうけれど。「儀式殺人」というものを知らなかった。そしてずっと気になっていたポーランドにおけるユダヤ人に関しては、知るためのヒントが色々と出てきたので、これから役立てたい。

犯人については、こういうの昔からあるけれど、21世紀にもなってありなのか? こんなことが実際に起こり得るのか? ○○の信頼は? などと家で喋り続けたくらいで、あまり好きなタイプの持って行き方ではない。映画でもそれが気になったので、1作目からあまり読む気がしなかった。それでも、そこに目をつぶれるほど、登場人物のキャラクターやぎちぎちに沢山詰め込まれた文章が面白くて、こういう作家は他の作品も読みたくなる。

続けて同シリーズの1作目『もつれ』Uwikłanie 英 Entanglement、3作目『怒り』上下巻 Gniew 英 Rage も読んだ。『もつれ』も映画化されて、日本でも『巻き込まれて』のタイトルでポーランド映画祭で上映されたそう。主人公を女性にしたみたい。


www.youtube.com

 

3作目から訳された理由は、殺され方が派手で題材も予備知識など無くても受け入れられやすそうなど、なんとなく想像できるものの、最初から読むに越したことは無いし、『怒り』はこの3作の中では他の2作と比べて少し物足りなかった。途中から読むスピードをすごく加速させるけど、そういうのはあまり求めていなかった。『ダーティーハリー2』を思い出させる。でもハリー・キャラハンになれるのはあの時代のクリントだけなのか。そう思うとこの作品は現代的な気がする。最後のゼニアに対する対応というか考えは、ああ最後までシャツキだなあ、と少しむかつく。

2作目にその後のシャツキの運命を仄めかすような部分があって3作目の構想が既にできていたのかもしれない。さらに言うと1作目で既に考えていたようにも読めた。事件解決のために毎回あちらこちら動き回っているものの、シャツキ自身の物語は最初から結末に向ってまっすぐに進んでいるようにも見える。このキャラクターの設定から必然だったようにも。読み終わってからも色々と考えてしまって、今年の良い収穫だった。他の作品も翻訳してほしい。

それからこのシリーズを読んでいると、美味しいお菓子が食べたくなる。クリームのあるタイプのもの。フォレ・ノワールが食べたい。どこかに出てこなかったっけ(付箋でも貼っておけば良かった。探せない)。シャツキが気になる女性とお茶する時に、食べたいお菓子をきれいに食べられないから選ばないのは、ちょっとかわいかった。あたしもミルフィーユとかは外でなかなか頼めない。

 

イヴァン・アタルの『ユダヤ人だらけ』を見て、サリー・ルーニーが新作のヘブライ語への翻訳を拒否したニュースを読んだ今週。

『Aftermath』がものすごく重たい映画だったけれど、日本人も他人事ではないよなあと気が滅入る。