読んだ本

どこかで紹介されていて読んでみたかった本。フランス語を勉強する人の間でも評判が良くないらしい「旅するフランス語」を、旅番組として見ればよいのかと、途中までは惰性で見ていたものの、見るのもストレスになったのでやめて、それが役に立ちそうにないので並行して見ていた、録画してあった何年も前のフランス語講座を見ていたのだけれど、それもしばらく見るのをさぼっていたので、4月から気分新たに始める前に読んだ。NHKは4月からも「旅するフランス語」の再放送らしいから、また過去分でも見るかも。テキストもきちんと残してあって、自分の物持ちの良さに感謝している。平岳大の「旅するスペイン語」はすごく良かったし、自分もやらなきゃ! って気にさせたのに。でも、もう5月なのはなぜ?
この本、読み物として結構面白い。外国語をおぼえるコツは「親を選ぶこと」(これは他の人のエッセイからの引用)なんて始まるけど、凡人でも繰り返し努力すれば、ある程度までにはいけるって。目的と程度をはっきりさせて、無駄な努力はしなくていい、というのは、すごく楽な気分になった。

中条省平がフランス語の本を出したと知って、すぐに近所の本屋に行って買ってきた。読んでから一月以上たったし、今、2回目ぱらぱらしている。「××一の」とか「××初の」のような言葉を見かけると、それだけでちょっと警戒してしまうのだけれど、中条省平ってこれ以外にも、『眼球譚』を『目玉の話』とか、『狼が来た、城へ逃げろ』を『愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える』とか、タイトルですごく損してるような気がする。
すごく、良い。挫折した人のなぜ挫折したかをよくご存じで、「この人、あたしのことを理解してくれてる!」とダメ人間の心を鷲掴みに。本当に、この本を読むと「フランス語の大体が頭に入ったと楽しく錯覚でき」る。「錯覚」だと、ちゃんと釘を刺しておいてくれている! 苦手というより勉強する気になかなかなれなかった発音について、やっと少しわかったような気になれた。母音の細かい区別を知りたい気はあるものの、とりあえずカタカナ発音で良ければ、「Jardin d'hiver」とかも歌えそうな。

やっと、そろそろキングの『IT』が終えられそう。

世間の連休中、あたしは全然お休みでなかったし、ちょっと自分を甘やかすのにNetflixを登録してみた。「不良になった、こうやって本を読む時間が無くなっていくんだ」と言われて、確かにこちらにかまけると時間が無くなるよね。『ビフォア・アイ・フォール』と『13の理由』が見たかったのもあって、最初にそれを見ていたら『13の理由』の第2シーズンが始まると言われて、とうとう始まってしまったけれど、見始めたら止められなくなるし、今ちょうど少し忙しいので後にまわしたい。公開時に気付かなかったフィリップ・ガレルの映画があって、ルイ・ガレル三昧中。

『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』

ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』The Post(スティーヴン・スピルバーグ Steven Spielberg
45年くらい前の話だけれど、とても現代的な描かれ方。
サスペンスとかスリラーっぽい撮り方というのか、どの場面もものすごくハラハラさせられて大変。スピルバーグって、そういえば『激突!』とか『ジョーズ』を作った人だものね、なんて勝手に納得した。そんなに数を見てきた方ではないし、スピルバーグだから行かねばと思ったことも無かった気がするけど、色々これから見てみたくなった。
トム・ハンクスの妻が、メリル・ストリープの方があなたよりも大変と話す場面は、がががっとボリュームを上げたくなるね。トム・ハンクスJFK暗殺の時の事を話す場面で言った事は、例えば映画とか美術とか本などの批評に関しても言える割と大事な事だといつも思っている。
マット・デイモンがかわいくなったような俳優、たぶん初めて見たけど、かわいい。ジェシー・プレモンス、って名前、憶えておきたい。世間でもマット・デイモンに似てるって言われているのね。
ジョアンナ』のポスターがうつって、久し振りに見たくなった。とりあえず持っているはずのサントラを探そう。

見た夢

お祭りのようで、広場には低くて長いテーブルが何本も並び、バルタザールと二人、空いている場所に座って、寝転んで空を見上げる。花火が上がる頃、ピンク色の空に黄色や青に染まる部分が見られるけれど、花火ではない。周りの観客も穏やかでなくなってきて、世界の終りのような事が話されているのを耳にする。バルタザールの手を引いて走り出す。広場から出て、細い曲がりくねった石畳の道を抜けて、川沿いの道を休まずに走る。橋の下の低くて狭い場所を、目の前でバリケード作られて塞がれたので、手をつないだまま、破戒するための鉄パイプを探すところで目が覚めた。


山小屋みたいな家に実家の家族と住んでいる。雨の夜、向かいの家が明るいので覗くと開店準備中のよう。翌日、開店した店に一人で入る。蕎麦屋で、大根おろしや薬味が和えられた蕎麦がざるに盛られて、熱いつゆが蕎麦猪口にあふれそうに注がれたものが出された。あたしは雑誌を眺めていて、そちらに気をとられていたからか、食べようとすると、蕎麦は固まっているし口に入れてみても全然美味しくない。名物店主の人気店が移転してきたらしく、店の中はとても混んでいる。会計をすませて帰ろうとレジに行くと、ノーメイクでゴスっぽい服装をした男女が並んでいて、二人とも人間の腕みたいなもの(付け根に血も見えた)を台に押し付けている。店主夫婦で、あれがめん棒の代わりなんだろうか。

『シェイプ・オブ・ウォーター』

シェイプ・オブ・ウォーター』The Shape of Water(ギレルモ・デル・トロ Guillermo del Toro)
ひと月以上前に見に行った。『パンズ・ラビリンス』も『デビルズ・バックボーン』も引っかかるところがあって、以来彼の作品はたぶん見ていなかった。でも、これは半魚人の映画なので人魚の仲間かということで。
マイケル・シャノンの一人芝居の舞台を見たような気分になるのは、彼のあくが強いのもあるけれど、他の人がふわふわぼやぼや描かれているのに、彼だけ妙に具体的に描かれて、嫌いな人についてはつい分析してしまうからか、悪役にもそうなる背景があるということなのか、なぜそうなったのかよく分からない。
やはり、この監督は、あたしには合わない気がする。何が引っかかるのか、しばらくずっと考えていた。なぜか『フィフス・エレメント』を思い出したのだけれど、これも子どもの頃に考えたお話だったりするのかしら。たぶんしっかりお金をかけて絵的にはきっちり作っているのに、話が、登場人物が皆そろってあほみたいで、ストレスになるからかも。あたし自身毎日後悔や反省の連続だし、人は最善の選択ばかりするわけでないことは当然理解しているし、「押してはいけない」というボタンを押す人が実際にいるし、フィクションも障害が無いと盛り上がらないかもしれない。でも、皆そろってなんだもの。
主人公と半魚人は心を通わせているようには見えなくて、主人公が「心を通わせている」と思い込むのも、片想いの話でも全然構わないし、最後は友人の妄想だからそれも構わないけれど、二人が水中で抱き合うポスターで、これを素直に愛の話とされると、違和感。半魚人の気持ちを勝手に都合良く解釈するのは、ちょっとまずい気がする。
共同住宅で、洗濯機の水をあふれさせたりして、下の部屋に水を漏らしたり、上から漏らされたりしたのは知人にも何人かいるし、バスルームを水で満たす場面では、本などのコレクションのある人は発狂しそうにならなかった? あたしは倒れそうだった。物が水浸しになる恐怖を置いておいても、ばれたらまずいことになるのに、おとなしく目立たなくしていられない、自分の状況が分かっていないような主人公に、この場面以外でも苛立って、疲れた。
このバスルームの場面は、水漏れ以外にも、二人の意思の疎通が出来ていると思えていないからか、あまり気分の良いものではなかった。力関係が圧倒的に主人公の方が強い状況で、半魚人と対等ではないし、両方とも人間で男女が逆だった場合、助けた見返りを求めてるよくある図のようで、それは男女が逆になったこの映画でも、なんというかグロテスク。その行為について人間側が友人らと笑って共有しているのが余計に厭な気がする。
クリーチャーの造形みたいなものにほとんど関心が無くて、あたしの中に、そういう部分の楽しみが無いというのもあるかもしれない。

『ラッキー』

『ラッキー』Lucky(ジョン・キャロル・リンチ John Carroll Lynch)
この監督がどんな人なのか全く知らないのだけれど、ハリー・ディーン・スタントンファンがハリー・ディーン・スタントンファンのために作ったような映画だった。最初、初めて家の外へ出る場面で、ドアを開けるとその隙間から向こうがぱあっと光るのには、ええ? もうあっちの世界へ行ってしまうの? って、なんだかドキドキした。パーティーで歌う場面ではなぜか泣きそう。彼の役のイメージは、何の仕事をしているのか、仕事をしているのかすら不明で、いつも昼間からお酒を飲んでいたり、そしていつも若い女の子が横に居るの。この映画でも、若い女の子が放っておかない。
学生の頃、彼を見ては労働なんてするものか、と思ったものだけれど、現実のあたしは、この映画の彼の年齢くらいになっても、毎日コーヒー飲んだりお酒を飲んだりするどころか、ヨガなんてするスペースも無いような場所に住んで、働いていたりしそうで、そんなことを考えたら、少しどんよりした。昔、手相を見てもらった時に、年をとっても仕事や趣味で忙しくしていると言われたからか。
リンチの声が大きいのは、『ツイン・ピークス』の彼の役が意識されていいるのか、関係なく老人で耳が遠いという設定なのか。忘れていたけれど、『ツイン・ピークス』を見なくては。
生田耕作が、オカルトの本を読み漁ったら、死ぬのが怖くなくなったとか、そんなことをインタビューで語っていたのを思い出した。何で読んだのだっけ。

『ゆれる人魚』とベースの位置

ゆれる人魚』(Córki Dancingu / The Lure)のDVDを返してもらったので、また見た。Silverの尾をなくした後のオーラの無さみたいなものも、ちょっとすごいと思った。出演者のどの人も良い。コップの水をかけられて尾に変わるのに、雨の中、レインコートを着ていても裸足で戻って来る人魚とか、「?」て思うけれど、人魚の生態なんて分からないし、そういうのがどうでも良くなるような勢いのある作品は好き。

前回の「You Killed Me on the Moon」の記事に書いた、ベースの位置が高い件、この映画のJakub Gierszalもベースの位置が高い。
この動画の半ばくらいから見られるかしら。

You Were The Beat Of My Heart - The Lure Soundtrack (Official Video)

それで一応『Wszystko, co kocham』(All That I Love)の方を確認すると、やはりこちらのJakubはベースの位置が低くて腕を伸ばして弾いているのね。

Wszystko co kocham - teledysk

音楽のジャンルによってベースの高さは変わるの? まだよく分からないものの、一つ勉強になったのか? 楽器は弾けないから知らないし、基本的に歌っている人の顔と、演奏している人の顔と指の太さや長さしか見ていないかも。ベースの位置が高いのは「ダサい」と言われるのだけれど、「ダサい」って言葉、今、通じる? 時代や個人の好みで変わるだろうし、放っておいてくれよ、ねえ。それより、何度も見ていてなんとなくは気付いていたし、当たり前なのかもしれないけれど、改めて見てみて、きちんと演じ分けているJakubは良いね。


年が明けてからずっと気がかりだった事や、ストレスフルな仕事がだいたい片付いて、4月からは自分の勉強や遊びにも時間を使いたい。忘れて流されそうだから、宣言しておく。