『ワシントン・スクエアの謎』

『ワシントン・スクエアの謎』The Washington Square Enigma(ハリー・スティーヴン・キーラー Harry Stephen Keeler 井伊順彦・訳 論創社

すごく読みたかったのに、買ったら安心したのかずっとそのままにしてあった。期待を裏切らなくて、面白かった。小説のアウトサイダー・アートというのか、まともな感覚の職業作家なら書かないだろうなあというような文章。ものすごい偶然の連続。色々と過剰。途中で「登場人物も手がかりも出そろいました。謎を解くことは可能であるはずです。……今ここで答えを出してから、お先へどうぞ。」というページがあって、あたしは犯人とか別に誰でもどうでもいいのでそのまま読み進めたら、余裕で誰も知らされていなかった事や動機が出てくる。満足。人には全然すすめないけれど、楽しいし好き。

ただ、気になったのがP120の12行目、「ハーリングがいきなり言いだした」とあるの、ハーリングじゃなくてヴァンデルヴォールトじゃないの? ハーリングは隠れていて、トルーデルとヴァンデルヴォールトの会話の場面だもの。

キーラーといえば、以前教えてもらって買ったのは『The Green Jade Hand』だったのかな、緑の6本指の手がカバーに描かれていた。こういう変な文章を英語で読む自信がなかったのでずっと読んでいなかったのだけれど、読みたくなってきた。でも、彼の文章って翻訳を読むにも結構パワーを要するのね。体調良くなくて頭痛がするからベッドに転がって読んでいたら、なかなか進まなくて。身体を鍛えるか、英語で読む力を早くもっとつけるかしないといけない。

ワシントン・スクエアの謎 (論創海外ミステリ)

ワシントン・スクエアの謎 (論創海外ミステリ)

 

 

読んだ本

もう、3月! 一年で一番気の重い仕事が片付いて、やりたい事を思う存分楽しみたい晴れやかな気分だったのに、気が緩んだのか風邪をひいて、ぐだぐだだった。今もそんなに良くない。気付くと永遠に終わらない気がしそうなくらいに仕事がたまっている。

 

『悲しみのイレーヌ』Travail soigné(ピエール・ルメートル Pierre Lemaitre 橘明美・訳 文春文庫)

人気があるからそのうち読んでみたかったのを、風邪で頭痛がひどくて転がっている時に。これから読む予定で、色々知りたくない方は以下を読まないで。

 

2001年にブラック・ダリアを模した殺人事件が起こったとして、「ブラック・ダリア」という言葉が1年以上どこからも出てこない世界なんて無いでしょう? だってブラック・ダリアだもの。事件の状況読んだだけで、ブラック・ダリアじゃん、て思ったし、その後の展開にびっくりした。デ・パルマの映画が出来たのがこの小説が発表されたのと同年くらいらしいのだけれど、エルロイの小説は翻訳されていたのだし、あたしはエルロイも読んでいないのに。知っていて当然とは思わないし、知らない人がいるのは全然問題無いけれど、ハリウッド・バビロンとか殺人事件なんて好きな人がいっぱいいるだろうから、そんな事件が起きて誰からも指摘が無いなんて考えられない。「その頃はまだtwitterが無かったからじゃない?」って言われた。今ならその日のうちにネットで世界中から指摘が来て明らかになるはず。でも、当時も掲示板みたいなものならあったのではないの? よく分からない。

アメリカン・サイコ』については、書かれているところまで分からなかった。日本製にこだわっているところが、なんだかもう少し前の年代を表現しているのかな、という違和感はあったのだけれど。『アメリカン・サイコ』は小説も映画もわりと好きだったのに、どんな殺人だったかの記憶が無い。映画は裸でチェーンソーを振り回していなかったっけ?

他の過去の事件に関しては、あたしは全て読んだことのないものだった。けれど、それもミステリって詳しい人が多いのに、それだけ色々と起こってどこからも小説との類似について指摘が無かったなんて思えなくて、なんだかあまりのれなかった。

主人公が身重の妻をいかに愛しているかという描写が多くて、タイトルがタイトルだから、「最後に妻の頭が箱から出てきたらキレるよ」と言いながら読んでいた。そんなに違わないよね。これは翻訳のタイトルがまずいと思う。少しずれるけれど、主人公を苦しめる目的で妻や子どもが殺される話が昔から嫌いで、「本人を殺すよりも、その愛する人を奪う事で余計に苦しめる」ような事を言ったりするものの、単に成人男性よりも力の弱くて反撃の少なそうなのを選んでいるんでしょ、って思ってしまうし、それに続く復讐劇も苦手で、昔はチャールズ・ブロンソンの事を「妻や子どもが殺されるまで働かない、殺される前にどうにかしろ」と言って嫌いだった。『荒野の七人』では良い人だっのに、今思うとすごい雑だ。
風邪なのに眠らずに読み進んでしまうくらい、読ませちゃう本ではある。

 

『無実はさいなむ』Ordeal by Innocence(アガサ・クリスティー Agatha Christie 小笠原豊樹・訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

ビル・ナイの出演しているドラマが見たくて、見る前に読んだ。ビル・ナイが主演だという情報しか知らずに読み始めて、当然のように最初に登場するアーサー・キャルガリに彼をあてて読んでいるとキャルガリの年齢が出てきて驚いて戸惑っていたら、ドラマを見た家族から、ビル・ナイは殺された人の夫の役だと教えられた。ドラマは録画してもらったはずなのに、まだ見ていない。

 

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)

 

 

無実はさいなむ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

無実はさいなむ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 

『サスペリア』新旧

サスペリア』Suspiria(ダリオ・アルジェント Dario Argento)

GYAO!で。新しい方を見るために何年振りかで見たら、感動した。色!! こんなにすごかったっけ。『コックと泥棒、その妻と愛人』を初めて見た時のような興奮。既に話を知っているからか、血の色のせいか、怖いという感覚は無かった。血は、今作られる映画では大抵もっとどす黒いものになるものね。

 

サスペリア』Suspiria(ルカ・グァダニーノ Luca Guadagnino)

君の名前で僕を呼んで』しか見ていないものの、この監督はなんとなく合わない気がしていたし、映画館で見た予告からはダメそうな印象しか受けなくて、あまり期待して無かったからか、楽しめた。街や建物、雰囲気は良かった。

ただ、映画館がけっこう混んでいて両隣りに人が居て、片方の席の男が映画が始まってから肘掛に腕をのせてそれをかなりはみ出させてくるし、頭はもたれかかってきそうなくらいこちらへ傾けてくるから、「え、痴漢?」って気持ち悪くて、鞄を肘掛に押し付けて腕を押し返しつつ、もうずっと気になって気が散って、話がよく分からなかった。もう一度見た方が良いのかしら。万全の状態で見てもよく分からない映画かしら。シネコンで席が指定できるようになってから、ほぼ映画館での痴漢の事など考えたことが無かったのに。今後もし映画館で痴漢にあったら、ガープの母にならって対処したい。

最初の方で、田舎の家でいびきかいて寝ている女性がマルコスだと思っていた。この作品では学校と別の場所に隠されているのかと。だって、いびきかいてベッドで寝ているんだもの。おかげでかなり迷子になった。

ティルダ・スウィントンに複数の役を演じさせたり、意図的に見る側を混乱させている?映画を見る前にあまり情報を仕入れずに行くから、それを知らずに見たけれど、時々なんだか引っかかる事があって、家に帰って彼女が3人演じていた事を知った。

ダンスって、スピリチュアルな、何か別の次元のものとつながっているイメージなので、主人公のダンスが他の人への暴力と呼応するのは良かったけれど、なんだか途中から笑えてきた。発表会のダンスも、サバトの場面も、音楽が盛り上げていくし可笑しくなってきて笑いそうだった。この映画、全然怖くない。驚くくらいに。怖くする気が無かったのかも。別に怖くなくても全く構わない。オリジナルのバレエのダンサーははもちろん、ピナ・バウシュも細いのに、それに比べると、この映画は主人公も他のダンサーもわりと健康的なというのかそこまで細くなくて、それはまた迫力が出て面白かった。

「マザー」、「母」というものに対して過剰に意味付けしたり神秘性を持たせるのは、気持ち悪い。

きれいでいびつで、「変なものを見た」という満足はある。計算しつくしたとか色々な仕掛けがあるとか情報量が多い作品も面白いけど、計算が透けて感じられるものより、作り手の意図みたいなものを超えて異様ななんだかすごいものに化けてしまったようなものの方が好きだ。なので、この映画はあまり好きではない。

とんちんかんな、とんまなことを書いていたら、それは95%くらいは隣に座っていた人のせい。あんな人に隣に座られるより、たぶんひとりで見た方が良い。

メアリーの総て

『メアリーの総て』Mary Shelley(ハイファ・アル=マンスール Haifaa Al-Mansour)
原題が『Mary Shelley』なのに邦題を『メアリーの総て』にしてしまうのが理解できない。『メアリー・シェリー』で良いのに。『フランケンシュタイン』の著者だということは、そこそこ日本でも知られているだろうし、メアリー・シェリーの映画だと公開前から知っていたから見に行ったけれど、知らなかったらタイトルだけ見てどこのメアリーの話か知らないし見逃したかもしれない。50越えても生きていた人の20代前半くらいまでしか描いていないのに「総て」なんて要らないじゃない。邦題を知った頃からずっと文句を言っている。

メアリー・シェリーだからつい見たくなるけれど、映画自体はそんなに良くは無かった。衣装が、エル・ファニングの着ているものが今でも着られそうな感じの、すごくかわいらしくて、家の中であたしもこんな格好をしていたいと思うものだったものの、これって随分現代的にアレンジされてる?

バイロンシェリーもクズだよね、と見る前に話していたのに、普通に養育費を払っているので、日本における離婚した男性の多くが養育費を払っていない問題など頭にあると、あの二人はお金持ちだとはいえ、良い奴じゃん、なんて思ってしまいそうで、当たり前のことのはずなのに、そんな風に思いそうなのをやめたい。

ポリドリの「The Vampyre」って、1冊の本にするほどのボリュームがあったっけ? と帰って本を見てみると20頁くらいはあった。『Frankenstein』の後ろに付いていて読んだけれど、昔の事だからもっともっと短いような気がしていた。学生の時に読んだきりで、この機にまた読み返そうかと『Frankenstein』を出してきてみたら、栞代わりに香水のサンプルを吹き付ける紙が挟まっていた。かわいかったな、自分。

これを見て以来、ケン・ラッセルの『ゴシック』ももう一度見たいような気がしつつ、あれも特別面白いものでもなかったような気が。パーシー・シェリーをジュリアン・サンズが演じていた事と、そのジュリアン・サンズが裸で屋根の上に仁王立ちしていたような記憶しか無い。その記憶が正しいのかどうかも不安。それにしても、裸が好きなのか。そういえば、去年見た『Beyond Words』でも、Jakub が部屋の中を裸で歩いていて美しい背中とお尻が見られるし、上司はビルの屋上で集団で裸でヨガ(?)をしていたし、どちらも好きな場面。羞恥や笑いや嫌がらせと関係のない裸は好きかな。

『幻の城 バイロンシェリー』(Rowing with the Wind)、『幽霊伝説 フランケンシュタイン誕生秘話』(Haunted Summer)も、見てみたい。ヒュー・グラントバイロンとか、エリック・ストルツのシェリーなんて。

フランケンシュタイン』といえば、ケネス・ブラナーのものを日本での公開前にロンドンで見た。ロバート・デ・ニーロの初めて登場する場面で、場内に笑いが起こって、「え? ここ、笑うところ?」って疑問だったのを今でも憶えている。

今年もよろしくお願いします

懐古趣味さんが結末まで書かれてみえますので、南郷京助ファンの方は、こちらのリンクからコメント欄をどうぞ。

『SF奇書天外』と奇書 - La Porte Rouge

 

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。皆さまにとっても、良い一年になりますように。

いつも通りの年末年始を過ごしていた。初詣で、3年連続「凶」だったから、おみくじ引くのをやめても良いのではないかと思いつつ惰性で引いたら「吉」だった。「中吉」や「小吉」より「吉」の方が良いなんて知らなかった。聞いたのかもしれないけれど、何年も「凶」が続いたし忘れていた。

去年は『マチルダ 禁断の恋』を楽しみにしていたのに見逃した。気付くと朝の8時半だったか早朝に1回しか上映していなくて、しかたなく早起きしようとしたら、ぼけてたのかアラームを1時間合わせ間違えていて、起きたら無理な時刻だった。

結局、最後に見に行ったのは『バルバラ セーヌの黒いバラ』Barbara(マチュー・アマルリック Mathieu Amalric)になるのか。このバルバラのことを名前くらいしか知らず、曲も聴いたことがなかったけれど、映画は良かった。好き。マチューといえば、『さすらいの女神たち』Tournée も Netflixで見た。ずっと見たかったもの。車に乗っていると(と言っても誰かの運転で乗せてもらうばかり)、その一緒にいる相手や状況によっては、どこにもたどり着かないで、このままずっと続いて欲しいという気分になったものだけれど、そんな映画だった。

ゆれる人魚』を劇場で見られたのは嬉しかったし、Netflixに登録したおかげで、書いている余裕が無いくらい結構見逃していた映画などが見られた。フランス語の勉強もしたりで、なかなか本を読む時間が無くなってしまっていたから、今年はもう少し本を読みたい。

 

新年早々、去年の振り返りになってしまった。今年も面白いものやすごいものに会いたい。

『Beyond Words』

『Pomiędzy Słowami』英 Beyond Words(Urszula Antoniak)、DVDで2回目。

下のtrailerの通りのストーリー。

Jakub Gierszał演じる主人公は、ドイツで弁護士をしている。ポーランド生まれだが、そこでの知人との付き合いは切れていて、日々ドイツ語の発音の練習をしてドイツ人のように暮らしている。アフリカの詩人の難民のケースを依頼されるものの、それを拒む。長い間連絡も無かった死んだとすら思っていた父が突然やって来る。息子は広くきれいに片付いた部屋に住んでシャツにアイロンをかけてTシャツも四角く新品のように畳む、さらに勉強も欠かさないような人なのに、元パンクでミュージシャンになりたかったという父は髭や髪などの見た目からして対照的。その父と過ごし、アフリカの詩人のこともあって、主人公のアイデンティティが危うくなっていく。重たくて不思議で美しくて曖昧で、うまく説明できない映画。

この主人公みたいな人、いるよなあ。そして自分の身近なところでは日本には近隣の国の事を下に見たりその国々やその国々の人々を嫌悪して躊躇いもなくそれを表明しちゃう人がいることが思い出され、日本における難民や外国人に対する問題が思い出されて辛くなってきて、初めて見てからもう1度見るまでに時間がかかってしまった。

Jakubは、確か子どもの頃にドイツに住んでいたとどこかで読んだ気がするけれど、ポーランド語もドイツ語も出来て英語でも話せるし、すごいな。彼とアンジェイ・ヒラの演技が良かった。ぎこちなさ、緊張感で、見ているだけでぐったりする。主人公の上司で友人役のChristian Löberも良い。


Pomiędzy słowami/Beyond Words/ English trailer

クリスマスの夢

南郷京助ファンの方へ、更新されています。こちらのリンクからコメント欄をどうぞ。

『SF奇書天外』と奇書 - La Porte Rouge

 

仕事関係でなかなか落ち着かず、年末の雑務などもあって、楽しみにしていた『1983』もまだ2話目までしか見ていないし、映画もなかなか見に行けていない。3連休も普通に仕事していた。今年見た映画で書いていない分のリストくらいはあげておこうかと思いつつ、それもどうなるか。

 

見た夢。

知人の家に行くと、大きなホテルだった。家業がそうだとは知らなかった(実際は違うし)。泊って、翌朝ふらふらと歩きまわっていると、フロアの一角のカフェで、その知人がクリスマス柄の野暮ったいセーターを着て給仕をしていた。かわいい人は何を着てもかわいくて、あまりのかわいらしさに、あたしは、とびかかって抱きついていた。